| 講義名 |
| 『古事記』と『日本書紀』 |
日 時 |
平成13年 8月 4日(土) |
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会 場 |
都城キャンパス 4202教室 |
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職・氏名 |
講師 柴田博子 |
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『古事記』『日本書紀』は現存する最古の日本の歴史書である。
まず『古事記』は、太安万侶が記した序丈から、その編纂事業が7世紀末に天武天皇によって始められ、最終的に元明天皇の命令をうけて太安万侶が撰録し、和銅5年(712)正月28日付けで元明天皇へ献上したということがわかる。内容は序丈と上中下の3巻からなり、上巻が神代、中巻が神武天皇から応神天皇まで、下巻が仁徳天皇から推古天皇までを天皇の治世順に記述している。編者である太安万侶は、奈良県田原本町多を本拠地とする中級者族である太(多)氏出身の官人で、最後は民部卿(八省のひとつ民部省の長官)まで昇った。1979年奈良市で火葬墓とともに墓誌が発見されたことが有名である。
一方『日本書紀』は、『続日本記』養老4年(720)5月21日の記事によると、舎人親王が天皇の命令をうけて編纂してきたもので、この日元正天皇に紀30巻・系図1巻を献上した。このうち系図1巻を献上した、という。このうち系図1巻は現在に伝わっていない。内容は、1・2巻が神代、3巻が神武天皇で、以後天皇の治世順に記述し、最後の30巻が持統天皇である。編者の代表として名前のあがっている舎人親王は天武天皇の息子のひとりであり、奈良時代初期の皇族の重鎮であった。
このように『古事記』と『日本書紀』は、どちらも天皇の命令をうけて7世紀末から8世紀の初期に作られた歴史書であるとともに、内容はともに神代から始められているために、推古天皇までが重複しているのである。
では、なぜわずか8年の間隔で、同じ時代をとりあげる歴史書を2種類も編纂したのだろうか。また同じ時代をとりあげつつ内容には違いがあるのだろうか。本講義ではこれら問題を中心にとりあげたい。
そこでまず『古事記』「記」で『日本書紀』が「紀」であることの持つ意味の違い、『古事記』の文体が「音訓交用」と「訓録」で『日本書紀』が漢文であるという文体の違いから検討をはじめる。そして内容に相違があるかどうかを具体的に調査し、2種類の歴史書が作られた背景を考えることにしたい。
なおこの時代は、国号を倭国から日本国へ、君主号を大王から天皇へと変更し、中国をモデルにした律令制定も行われて、中央集権的国家体制を急ピッチで整備していた。歴史書編纂が活発に行われた背景には、このような社会の情勢が大きく変化しつつある時代に歴史書に期待されていた機能があり、それが今日の問題にも通じるものであることを最後に指摘しておきたい。
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